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第17号 (1997年 9月13日) | ||
第4回裁判を傍聴しよう | ||
証拠提出と証拠説明を実施します 9月25日(木)午前10時より、国に対する第四回裁判が開かれます。 今回の裁判では、裁判所への証拠提出と証拠説明、現場検証の打ち合わせなどが予定されています。 80の傍聴席を埋めつくすためにも、原告の皆さんの積極的な傍聴参加をお願いします。 国に対する裁判は2ヶ月に1回の割合で行われています。年6回の裁判として、すべての原告が傍聴するには4年間かかる大原告団です。 すべての原告が裁判が終わるまでに1回は傍聴に参加してください。 今回提出する証拠は平成5年以降の東京都、昭島市及び埼玉県の飛行データ、ドイツNATO軍の飛行状況データ、厚木の承認調書、嘉手納の承認調書、沖縄の健康影響調査報告などを予定しています。 現場検証は、瑞穂、昭島、福生、八王子の箇所にし、3日連続を要求します。 時間は朝6時から夜6時までとし、これが無理であれば少なくとも1日は朝6時から夕方6時の時間帯を設定してもらうようにします。 検証中に本人尋問を盛り込み、検証中、騒音の測定もする予定です。 |
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原告から三名が意見陳述 | ||
「夜間睡眠妨害なし」実態無視し国が主張 7月10日 第3回裁判 | ||
国に対する裁判の第3回目が7月10日に行われました。 裁判長は交代したので、被害についてあらためて意見陳述をしました。まず、弁護団を代表して榎本信行弁護士が、本件の概略を報告、訴訟団からは、小板橋稔市長代表幹事(八王子)、松井登志子さん(昭島)、大坪たづ子さん(瑞穂)がそれぞれ七分づつ陳述し、三者三様で要を得た内容となりました。 国に対する求釈明 その後、加藤健次弁護士が、@国は外国を相手にする場合の民事裁判権についてどのような見解を持っているか。A地位協定の解釈によると日本国政府が米軍機の飛行による損害賠償、差止に関し、被告として当事者となり得ると考えられるがどうか。B前のアメリカの口上書は明らかに地位協定に違反した内容であるが、国はこれについてどのように考えているか、さらに前訴訟での損害賠償について、地位協定に基づいてアメリカに求償を求めたのか、求めたとしたらどのような負担割合で求めたのか、について求釈明し、次回国が回答することになりました。 国の準備書面 (7月10日付) 続いて国より請求原因に対する準備書面による認否がなされましたが、内容的にはひどいものでした。行政による騒音調査については、調査そのものは認めるが、飛行回数、飛行状況などについては知らないし争うとし、夜間早朝の騒音被害については全面的に争うというものです。日米合意で時間制限をし、アメリカはその合意を実行しているので夜間の睡眠妨害は生じていないという、まったく実態を無視したものです。 さらに学校については、防音工事がなされているので、飛行騒音によって勉学が妨げられることはないと強弁しています。 法廷で、弁護団から、横田についてすでに最高裁判所で確定しているのであるから、そのことを前提に争点を絞って主張、反論するべきであること、特に被害認定については、横田だけでなく、他の空港訴訟についても認められているのであるから無駄な議論はやめようと強く要求しています。 |
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新横田基地公害裁判を傍聴して | ||
桧浦 繁治 (福生) | ||
せっかく新横田基地公害訴訟団の一員になったのだから、きちっと裁判の行方を見届けてやる。そう決意したにもかかわらず、早くも第2回の公判に仕事の都合で行くことができず、結審まで欠かさずに傍聴することの難しさを痛感した。 我々一般市民にとって、裁判というふだん縁がないぶんだけどこかで構えてしまうところがある。しかしあんまり肩に力が入っても長続きしないのではないか思い直し、自然体でつきあっていくことにした。 そのせいか第3回公判は法廷内を見回す余裕もでき、傍聴席の座席の腕木が壊れていたことを発見したりもした。権威ある法廷のはずが、なんだか場末の映画館のようで親しみを感じたが、同時に座り心地といい傍聴人のことはあんまり考えられていないなとも感じた。これは第1回公判の時に裁判官の声が小さくてよく聞こえなかった時にも感じたものだ。あの広さではマイクが必要なのではないだろうか。 裁判は裁判官や原告、被告だけで行われるものではない。我々傍聴人が見守ってこそ健全な裁判ができると言える。なぜなら裁判の勝ち負けは常識が支配すると考えるからだ。 日常の生活に支障をきたす騒音をやめろというのは常識のはず。今その常識が裁かれている。法廷の多少の居心地の悪さには目をつぶって、今後もできるだけ傍聴に通うつもりである。 |
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第3回裁判傍聴記 | ||
真瀬 彰泰 (八王子) | ||
空入梅を思わせる暑さはどこえやら、今日は曇り、半袖シャツでは寒いくらいの変わりよう。傍聴席は空席が目立ったが、閉廷後は後方は満席、前方に五つくらい空席が数えられた。 裁判官の移動人事に伴って、原告側の意見陳述のおさらいから始まった。他の民事裁判でも同じと思われるが、初期段階では訴える側の準備が万端整っていて、裁判官含めて被告(国側)を早く土俵に引っ張り出すための努力が目立つ。壁に被害地域の色分け図を掲げて榎本弁護団長の説明は、新任の女性裁判長にも分かりやすかったと思う。小板橋氏の陳述では、昨年の訪米調査でアメリカでは市街地の軍事基地は住民とって屈辱的で許されないものという。欧州のNATO軍の場合はもっと厳しい規制が取られているという。続く2人の女性の陳述は、比較的基地に近い居住者の体験として、心身に与える悪影響は、周辺のひとが想像する以上であった。こういう切実な訴えを聞くにつけ、横田基地はおそらく世界中で最悪のケースと思う。 沖縄の基地撤去が云々されているがそれ以上に深刻な問題である。世界平和の時代になって軍事基地が市街地に残されているのは、政治の無為無策のためである。前回弁護団から出された準備書面により当分は良いとして、その後の裁判の継続を考えると、本部で騒音、空気汚染などの調査の立案をしたり、インターネットに接続して、共通問題を抱える世界各国と情報交換できたら良いと思う。 |
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アメリカは正々堂々と裁判に応ぜよ | ||
外務省と米大使館・裁判所に要請 7月24日に東京高裁と外務省、アメリカ大使館に要請に行きました。 東京高裁に対米訴訟審理要請者名を提出、ほぼ1万人の署名になりました。八王子支部に対しては、8月1日に提出しました。裁判所との準備手続きの要請、申入書を出してきましたが、裁判所はまだ消極的な様子でした。再度、協議することを要請しました。 外務省、大使館ともにあらかじめ要請書を提出しました。外務省に対しては、アメリカ政府への出廷要請、口上書問題、求償問題、日米合意以降の飛行状況の調査を要請しました。 外務省は、第二次訴訟の応訴照会はまだしていない。求償は平成6年3月に、横田一、二次訴訟について地位協定に基づいて請求したが未だ結論は出ていない。飛行実態の調査はしていない。口上書については、応訴するかどうかを回答すればよいので、アメリカは地位協定のことまで述べることはなかったのではないか(私見)という回答でした。 アメリカ大使館は要請に対し、合意事項の飛行実態については、大使館としては把握していない。地位協定に基づく求償問題は現在話し合い中である。横田司令官との面会については、基地のルールとして司令官は市民や市民団体とは会わない、と回答しました。 |
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「基地司令官は市長などといっしょならば訴訟団とも会えるかも」 米大使館マイケル上原書記官が回答」 |
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代表幹事 小板橋 稔市良 | ||
7月24日、米政府を東京の裁判所によびだせとの9千数百人の要請署名を高裁に届けた。外務省とアメリカ大使館も訪ねる。横田弁護団の地位協定と米政府口上書の矛盾追及に対し、必死の応対だった。安保課の外務事務官氏は、帰りぎわ歩きながら、「頑張ってください」と私がなぐさめ顔で言ったのに対して、「ありがとうございます」とほっとした様子を見せていた。米大使館では、おなじみになったマイケル上原書記官が、「私は法律家ではありませんので」と苦しげな応接、(沖縄出身三世のひとの良さを感じさせながらも虚勢を張らざるを得ないといった感じで)をかいまみせ、課題の基地司令官の面会について、「市長などと一緒なら会えるのじゃないか」との返事を伝えてくれたのだった。これは具体化させたいと思います。 |
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またアメリカで要請してきました。 | ||
弁護士 盛岡 暉道 | ||
私は、6月22日から1週間、「沖縄・日本からの米軍基地の縮小・撤去を求める日本法律家第二次代表団」に加わって、アメリカに行ってきました。 サンフランシスコではアンジンジャー弁護士たちに会って、訴訟への協力をお願いしてきました。 ワシントンDCでは、国務省の日本問題課ジム・マクベリー氏(前回と同じ人物)に、「明確な地位協定無視の口上書を出さないで、今度は日本の裁判所に出頭してほしい」と要請しましたら、「私は弁護士ではないから、法律的な問題はわからない。前回もそう申し上げておいた。」の逃げの一手でした。 国防総省の日本課長サコダ氏(前回とは違う人物)にも同じ要請をしたら、「私は弁護士ではないから」と同じ返事でした。 ニューヨークでは、「憲法的権利センター」の弁護士たちに訴訟への協力をお願いしました。 「是非アメリカで裁判することを検討して欲しい」と言っていました。 <感想> 国務省や国防総省は、前回とは違って、誠意が見られません。今度行くときは相手が逃げないように、工夫する必要があると思いました。 アメリカの弁護士達はたいへん協力的なので、よく連絡を取り合う必要があると思いました。 横田関係の弁護士は私一人だったのでたいへん疲れました。 |
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対米訴訟シンポジウム | ||
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行動日記から | ||
代表幹事 小板橋 稔市良 | ||
ニューヨークにこんな基地・・・アメリカ人には屈辱 最近、いろんな団体はどの横田見学や平和学習を歓迎することが多くなっている。アメリカ人ではナショナルロイヤーズギルト議長で刑法専門のプロフェッサー、ピーター・アーリンダー氏を案内した。おりしも6月27日は、基地内では在日米軍司令官の着任式。そのため、軍楽隊の楽器が光るのも、各基地から集う多様な軍用機も望見できたものである。拝島駅でお別れしようとしているとき、ちょうどF16が編隊で轟音をあげ飛んだ。訴訟団事務所で英文の解説書を見ながら、ビデオ「静かな夜を返せ」の爆音を聞いていただいただけでなく、人口密集地の上空の殺人的なナマの音を聞いた彼は、「ニューヨークにこんな外国の基地があったら、アメリカ人は屈辱を感じるでしょう」と感想をのべたものである。 8月2日、訪米の際お世話になったボストンの平和運動家J・ガーソン博士の原水爆禁止世界大会科学者集会での講演を横浜開港記念会館講堂で聞く。昼食をともにしながら、早稲田の浦田賢治教授の通訳でお話しすることができたが、来年余裕を持って来日し横田も見学・交流したいと言う。「アメリカの今日の核戦略と国民世論の動向」と題しての話は、他の科学者会議の先生方の報告とともに、勉強になった。アメリカ代表としての彼が、長崎大会国際会議「宣言」起草委員会の席で「ガイドライン見直しなどにみられる日米安保体制の強化で、日本のプルトニウム蓄積のはけぐちが核兵器開発に向かうおそれが」と指摘し注目されたことを、八月九日付けの朝日が報じている。日米軍事同盟を中心とした日米関係の研究を深めつつある社会科学者としての彼の著書「ザ、サン、ネバーセッツ・世界を覆う米軍基地」に続いて、「広島の目を持って」が邦訳出版されている。後者は冒頭に「原爆ゆるすまじ」がかかげられ、アメリカの核政策、対外政策を被爆者の目で直視し、批判している。 ユダヤ人の血をひく彼のナチスのホロコースト、広島との共通な経験・怒り・悲しみ、それを乗り越えての平和への連帯の呼びかけ。何よりもアメリカ合衆国政治そのものに人間性の回復と覇権主義の克服を要求している。えらい人である。来年ぜひ横田訴訟団として来日を歓迎したいものである。 元気な高校生 8月10日から14日まで、私も会員である三多摩高校問題連絡会の呼びかけで「全国高校生平和集会・沖縄」に参加した。 7月10日、東京平和ゼミの数十人を今年も我々は堀向に迎え対応したが、合宿などの勉強と仲間づくりをしたうえでお小遣いをため、仲間や先生おとなたちのカンパに支えられ、広島や長崎の高校生集会などにも参加し、今年も沖縄に集う数百の若者たち。沖縄病=平和病ということもあると聞く。全国の高校生が沖縄の歴史、沖縄戦、基地、文化を熱烈に学びあう。バスでの、現地での戦跡案内、集会運営も彼らの自主活動になっている。「浦添商業高校の大活躍した高校野球も今年から運営の全面に高校生が」と報じられたが、先生、おとなはサポート役ということでのりっぱな集会は、嬉しいかぎりだった。小生も12年前に夏休みを利用して担任した生徒と九日間沖縄に行ったものである。彼らの先頭に立って、この秋もピース・トーク・イン・東京が千名以上の高校生を結集する。昨年は私も横田基地について「証言」させられた。今年はどなたかお願いできないだろうか。なお堀向で松井さんか福井さんが彼らにお話しているとき、私もびっくりするくらい低空で公園におおいかぶさるように、ギャラクシーが降りてきた。東京の高校生のそのときの驚きと学習の成果が沖縄の高校生集会で報告された。 公開審理を傍聴 ところで私は8月12日の午後豊見城中央公民館で開かれた第六回沖縄県収用委員会開発審理を傍聴することができた。 反戦地主の代表でアメリカでもいっしょだった島袋善祐さんに入場券をもらって、伊江島、瀬名波、嘉手納の地主の切々たる意見陳述。銃剣とブルドーザーでの土地とりあげ以来の歴史。国の強制収用申請のでたらめと矛盾・黙認耕作地・ゆがんだ形の一部返還などの「いやがらせ返還」の実情など、実に考えさせられた。国の申請は当然却下されるべきとの堂々たる弁護団の陳述。「悲惨な沖縄戦の体験者として戦争のための基地に土地を使わせない」と契約拒否をたいへんな圧迫・苦難のなかでたたかってきた思いを語る農民。誠実に訴えを聞く態度の委員会。それはまことに歴史的な審理が公正に行われつつあると感じた。特措法という憲法無視の民主主義をまっこうから踏みにじる暴挙、加えて土地収用手続き権限の地方から中央への取上げ計画など、まったくの地方自治蹂躙の仕打ちが報じられている。こんな状態だからこそ、いま、沖縄県土地収用委員会公開審理の歴史的内容、進行は国民に大きく知らせるべきと痛感する。沖縄の吉沢弘明先生、我が弁護団の吉田健一、河内謙作両弁護士、内藤功先生等にもそこでお会いすることができた。この原稿を書いているときラジオのニュースは沖縄県土地収用委員会は、米軍が地主の立ち入りを拒否したので、調査を延期して防衛施設庁に認めるよう強く要請していることを報じている。昨年、全国の高校生代表と親しく会って「誰が来てくれたのより嬉しい」とご自分が十代の頃銃をとって戦に参加、120名の友人の4分の3が戦死した悲しみにふれた大田知事、今年はちょうど上京中で憂うつな心境をもらしていたと某紙が書いている。知事のゆれ、後退も心配だが、高校生だけでなく全国が激励している。おりしも名護市民は、過半数以上が断固海上ヘリポート拒否への住民投票に動いている。大変なことだ。大田知事、あなたは一昨年来の強い意思表示をしたあのときの、純真な高校生を励まされたときの決意を堅持してがんばってと願うや切なるものがある。 |
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