新横田基地公害訴訟団ニュース

第19号  (1998年1月30日)
2月17日現場検証 3月5日第6回裁判へ参加しましょう
 原告のみなさん、あけましておめでとうございます。今年は、原告全世帯の陳述書の作成など、私たちの被害を立証していく年になります。
 2月17日には、午前9時から午後4時まで、北部瑞穂地域を中心に、双葉ドライブイン、福生市役所など7ケ所で第1回目の現場検証が行なわれます。また、3月5日、10時から12時まで八王子地裁第401号法廷で、第6回裁判が行なわれます。今回の裁判は、昭島、立川、入間、飯能から3人の本人尋問を予定しています。
 検証場所は、私たちの被害の実情を直接裁判官に体験してもらう重要な機会です。当日はマスコミの取材も予定されています。
ひとつひとつの取り組みが裁判勝利に結びつきます。それぞれの地域から、原告のみなさんが現場検証や裁判傍聴に多数参加し、裁判所やマスコミに被害の切実さを示していきましょう。
 参加可能なかたはそれぞれの地域の世話人、幹事までご連絡ください。

6000人の訴訟団のためがんばります
新横田基地公害訴訟団事務局長  遠山 陽一
 あけましておめでとうございます。
 角谷前事務局長のあとを引き継ぎ今年より事務局長代行の私が新事務局長に就任することになりました。
 角谷前事務局長には、快気祝いをかねた忘年会で事務局長に復帰してもらう予定でしたが、仕事を続けながら通院を続けるということであれば、これ以上負担をかけるわけにはいきません。角谷さんには一日も早い復帰を願っています。
 定年を過ぎ、時間的な条件があることが私が引き受けることになった理由のひとつであり、いたらない面もあるかと思いますが、いったん6000人の訴訟団の事務局長を引き受けたからには、気を引き締めてがんばります。
4人の代表幹事をはじめとする幹事、事務の局、そして原告のみなさんの支えが何よりの励ましになります。いたらないところはぜひカバーしてください。
 日米防衛協力の指針の改定というかたちで、日米が世界的規模のアメリカの世界戦略の一翼を軍事的にも担うという「日米安保条約」事実上の再改定がなされつつある中、史上最大の原告団で、「静かな夜と住みよい生活環境」というあたりまえの市民要求をかかげ日米両政府を被告に闘われている「新横田基地公害訴訟」の意味はいっそう重要となっています。「せめて正月三が日には飛ばないでほしい」といったあたりまえの住民要求にさえ応じない状況を一刻も早く打開するためにも原告が一丸となって裁判勝利に向けがんばりましょう。

米軍が予告なしにNLPを強行  訴訟団が在日米軍司令部に抗議文

新横田基地公害訴訟団は、1月12日、通告もせず、3日間に深夜まで1100回を越える飛行を繰り返した米軍機による昼夜間離着陸訓練の中止を求める抗議文を在日米軍兼第五空軍司令官に送付しました。
今回の訓練は、米空母インディペンデンスの中東・ペルシャ湾展開に先立ち予告もなしに横田、三沢、厚木、岩国などで行なわれました。福生市の発表では、横田基地の訓練は9日から11日の3日間で1136回飛行、10日には過去最高の543回の飛行が観測され、騒音レベルは騒々しい工場内に匹敵する93デシベルに達し、住民からの苦情は2日間で36件におよびました。
東京都や周辺自治体も訓練中止を関係各機関に申し入れました。

全世帯の申述書作成へ訴訟団と弁護士が力を合わせましょう
新横田基地公害訴訟弁護団  榎本 信行
 明けましておめでとうございます。
 昨年は、二次訴訟を提訴し、ニューヨークタイムズに意見広告を載せ、対米訴訟についての不当な判決に抗議し、盛岡弁護士らが訪米し、法廷で証人調べが始まり、被害陳述書作成が始まり、対米訴訟問題のシンポジウムを開き―などなどずいぶんがんばった一年だったと思います。
 そのため角谷さんが過労になり、入院するという事態にもなりました。幸いお元気になりましたが、大事を取って事務局長は退任され、代わって遠山さんが後任になりました。
 角谷さんには心からご苦労さんでしたと申し上げたい、そしてゆっくり静養されてまた役員とし活躍していただきたい。また遠山さんには、例の明朗闊達、特長ある大声で訴訟団を引っ張って言っていただきたいと思っています。
 今年は、2月に現場検証が入っております。そして何よりも陳述書作成という訴訟団・弁護団一体となった作業が本格化します。裁判官もやる気充分といった感じです。裁判は意外に早い展開をしています。明るく愉快にしかし真剣に勝利に向けて前進しましょう。

各地域代表の年頭あいさつ
代表幹事(瑞穂)  山口 義郎

訴訟団のみなさん、弁護団のみなさん、新年あけましておめでとうございます。昨年中は、新横田基地公害訴訟のためにご協力いただきましてまことにありがとうございました。心より御礼申し上げます。
昨年度の世相を振り返ってみますと、悪政の目白押しの中で、平和の問題も新日米ガイドライン見直しでは、日米安保条約の拡大であり、戦後半世紀以上も経過した今日、平和を守るという理由で国民をあざむき、日本の軍事力を強化し、沖縄では名護の海に海上基地をつくることで自然環境を破壊しようとしております。
新横田訴訟がさらに前進することが、全国の公害訴訟団の人たちを勇気づけるのです。本年もともにがんばりましょう。



代表幹事(八王子)  小板橋 稔市良

 近づく21世紀のそう遠くない時期に爆音と墜落の恐怖からまぬかれ、静かな夜と平和な生活を実現することこそ、私たち共通の悲願である。
 毎日、地理的限定のない世界各地、沖縄、朝鮮、アメリカなどから飛来し、大地を引き裂く米軍機。
 お隣の厚木の人達も数千人が損害賠償を要求するという。飛行差し止めを要求しないというのは残念であるが、我々は憲法施行50周年に堂々とおせおせの法廷を展開し、せめて静かな夜をと主張しつづけ、いよいよ新年には、裁判官に被害の実情にふれていただく現場検証が始まる。陳述書をみなさんからいただく実務も大変だ。
 しかし、海上ヘリポートを圧倒的に拒否する沖縄県民と連帯して、日本全土の沖縄化でいっそうの爆音と火薬のにおいの充満する列島でない、憲法九条の光り輝く新年にしたい。



代表幹事(昭島)  大野 芳一

 新年あけましておめでとうございます。
 訴訟団結成いらいはや2年、運動は確実に進展し、判決までの道筋も確かなものになってきました。
 勝訴への道をしっかりと固めるため、次の活動目標のもと今年も力を合わせてがんばりましょう。
一、現場検証、原告本人尋問、証人尋問を成功させること。
二、原告全員の騒音被害に関する陳述書(世帯単位で作成)を取りきること。
三、憲法で保障された「国民の裁判を受ける権利」にもとづき、東京高裁にアメリカを「夜間飛行差し止め」の被告として認めさせること。
四、沖縄をはじめ、基地問題や公害問題に立ち上がった人達、また運動支援をしてくれる人達と連帯し、共同してさらに運動を発展させること。



代表幹事(福生)  福井 弥助

 昨年は国内においても国外においても本当に異常な一年であったように思います。日々山一證券や北海道拓殖銀行をはじめとする金融機関の倒産・廃業。道徳のかけらもうかがえない社会的事件、さらに追い打ちをかけたのが政界の懲りない面々。どれもこれも規範と良心と責任感の一片も持ちあわせていない人々が引き起こしたものであるにせよ国のあり方が問われ続けた一年でもあったと思います。
 日本沈没論、日本三等国論などが叫ばれ明るい話題は皆無であったし、その続きは年が改まったからといって消え去ることはないでしょう。
 なぜならば、暦のうえの正月は時間とともに来るだけのもので人の心を一変させるほどの魔力などあるわけがないからです。愚痴を続けてもしかたのないことなので、ここはひとつ日本民族の叡知に期待することにして、新しい年をむかえたいと思います。
底で我々の訴訟を振り返ってみることにしたい。
 一昨年の提訴以来、書記の原告目標1万人を割り込んだにせよ、6千人の原告団を整備して、開国以来の裁判闘争を展開して一定以上のインパクトを与え得たことはみんなで喜び合い誇りにしてもよいことだと思います。
 その原因となったものは国の基地対策のあり方と考え方に遠因を求めるのが妥当であると思いますし、それはひとつには周辺住民をひとつかみの思い上がり団体と規定して、その犠牲のうえに国の安全を求めてあたりまえと思い続けていること。さらに飛行騒音は快い音楽であり子守唄だと決めつけて真剣な対応を講じなかったことに全ては起因しています。問題はこの二点につきると思われます。
 2月の現場検証をかわきりに、今年は原告本人および証人尋問がしばらくは続くと思われるし、あまり面白くない地味な一年になるような気がしますが、ひとつひとつ着実に歩みを進めていきましょう。
 団員各位のさらなる御健勝と御多幸を願いながら年初の挨拶といたします。



飯能・幹事  菅間 徹

 1997年2月14日に新横田基地公害訴訟第二次提訴をしたのですが、飯能の原告は30人にとどまりました。もっとたくさんの市民が基地騒音の被害をこうむっているのに、苦情をつかみきれなかったことを反省しています。
 4月には妻の6期目の市議選を闘いました。がんばった結果5人全員の当選で日本共産党地方議員全国4000人突破の一翼をになうことができて最高でした。7月は思いもかけず私自身が市長選に立候補しました。大規模開発よりも福祉・教育の充実を訴え全力で闘いました。11月は沖縄での日本平和大会に地域の仲間と参加してきました。分科会では新横田基地公害訴訟の原告として闘っていることを報告しました。
 今年は平和と民主主義を守るために地域の仲間と力を合わせがんばります。



日野支部  林 洋

 この訴訟に加わるにあたって、相手にアメリカを加えるということで「なるほど」と思った。
そのうちに「なるほど」だけでなく積極的な意義を感ずるようになった。
 個人的な思いをいえば、77年の人生のうち、この50年あまり、新憲法のもとで生きてきたとはいいながら、もうひとつすっきりしないものを感じていたのだった。この国は本当の意味で独立国なのだろうかと。
 沖縄があり、横田が重くのしかかっている。折りにふれて、私の手の届かないところに何かがある。それがアメリカであり、日米の外交関係であるということに気づく。
訴訟団に加わって、この年になってやっと「独立人」として一歩を踏み出すことができて嬉しい。
 98年。この一年間にどんな「手応え」があるか楽しみだ。

新年のあいさつ
弁護団事務局長  吉田 栄士
 あけましておめでとうございます。
 今、裁判はアメリカに対する裁判と国に対する裁判とに分かれています。
 この中で、国に対する裁判は順調に運んでいます。アメリカを相手にしたということで、始まるまで少し時間がかかりました。
 弁護団は、国に対する裁判は旧訴訟でも最高裁で勝訴していますので、これに乗じ、先手先手と駒を進める戦法で行なってきました。裁判所もこのペースにあわせてくれています。
 本人尋問も始まりましたし、検証も今年2月から始まります。陳述書作成運動も始まり、すでに700人以上の文を作成しました。
 今年の主眼は何と言っても陳述書の完成です。これまで6000人もの陳述書が作られた例はありません。6000人が言いたいことを述べる、これは大変壮大な運動です。
 そして、これをやり終えた時、裁判は終結に向けて進みます。
 昨年は始まりの一年でした。今年は勝訴へ向かう活動の一年です。
陳述書作成会場で皆さんと色々な抱負を語り合いたい、弁護団は皆そう思っております。
 さて他方、対米訴訟はなかなか動きが見えませんでした。第二次訴訟については、まだアメリカからの応訴回答も来ていないようです。この中で行なわれたシンポジウムは、初めての試みでしたが、大変内容の濃いものでした。
 「米軍基地」の問題は、今年の日本と日本国民のテーマになりそうです。基地の持つ問題のひとつが環境問題です。
 私たちは否応もなくこの問題を背負うことになりました。裁判でこの問題の答えを出させること、これが私たちに課せられたテーマです。あたりまえの要求、あたりまえの生活、このことを勝ち取ること、皆さん、改めて自信を持って、いき高くやりましょう。

アメリカを法廷に引き出そう
     11・16シンポ「米軍基地被害アメリカの責任を問う」に参加して
片桐 善衛(福生)
 まず、当日は遠方からも駆けつけて頂いた報告者と共催団体に感謝します。また準備等で尽力された弁護士と幹事役の方々には、大変ご苦労様でした。当日は他に大規模な集会が組織されていたにもかかわらず、開場を満員にする百人以上が参加し、極めて中身の濃い討論が行われたことを、原告の一人として喜びをもって報告します。以下、字数の許す範囲でいくつかの感想を述べてみたい。
 何といってもアメリカを被告とする本訴訟にふさわしく、アメリカの責任を正面から取り上げた検討は、おそらく歴史的な一画期を占めることになったであろう。我々は訴訟で被告とするのみならず、社会的・国際的にもアメリカの責任を追及するひとつの基盤を形成したこととなる。平松教授の客観的データに基づいた報告は沖縄の現状を告発しているだけでなく、それはそのまま横田の状況を語っていた(ぜひ証人となっていただきたい)。原教授は、一定の困難を伴いながらも民事訴訟でアメリカを追及できる可能性を提示された。沖縄の新垣弁護士は日本の法休系と安保条約・地位協定との矛盾をつき、また、横浜の呉東弁護士からは、NEPA訴訟の経験による運動の重要性が強調された。さらに原告の人からは、裁判を受ける権利の保障とそれを否定しかねない裁判官への怒りが、原告の気持を代弁し力強く言明された。
 多くの原告にとっては少々専門的過ぎたきらいもあるが、当然の理に立脚しつつチャレンジングな裁判を進めているとの実感をもって今後の活動を進めたいものである。

「爆音を子や孫に引き継がない」  嘉手納基地爆音訴訟が結審
 「国は健康被害を認めよ」「爆音を子や孫に引き継ぐわけにはいかない」と嘉手納基地周辺の住民907人が米軍機の夜間飛行の差止と損害賠償を求め、提訴以来16年にわたり闘い続けてきた嘉手納基地爆音訴訟控訴審が1月16日、福岡高裁那覇支部(岩谷憲一裁判長)で結審しました。当日の集会に、新横田基地公害訴訟弁護団から吉田、北側の二人の弁護士が参加、応援陳述も行いました。原告側は最終準備書面で、「治療法のない騒音性難聴の判明にみられるように、沖縄県の健康影響調査によって爆音と住民の身体的被害の因果関係が科学的に立証された・」と陳述。「聴力損失は個別事例ではなく、原告全体に発生の危険性のある共通被害」と指摘し、夜間飛行を指し止めを認定するよう求めました。判決は5月22日に言い渡されます。

長年のご協力に感謝いたします
前事務局長  角谷 信幸
 新訴訟団準備から新訴訟団結成、そして提訴して裁判が始まった現在までの4年間、皆さんのご協力でどうにか大訴訟の運動を発展させる重責の一端を果たすことができました。
感じならびに、各支部世話人の皆さん、原告の皆さん、弁護団の先生方のご協力に感謝申し上げます。
 昨年6月に入院・手術し現在は治ったのですが再発監視のため毎月通院していますので、いろいろ考えたのですが、訴訟団の皆さんにご迷惑をかけてはいけないと思い退任することにしました。
 裁判闘争も現場検証や陳述書作成で大変な時期で申しわけありませんが、勝手ながら組織の活性化になり訴訟団のためにも、私自身のためにもいいのではないかと思いました。
 初めて国のみならずアメリカをも被告にした歴史的な裁判に、九市一町の6000人もの被害住民が参加し、日本の裁判史上最大の住民訴訟を起こしました。そして、第二次提訴、訪米団派遣、ニューヨークタイムスへの意見広告掲載、対米控訴、裁判傍聴、対米訴訟シンポジウムなど皆さんの努力でどれもが成功してきました。広く国民や自治体やマスコミの皆さんからも注目され、ご支援をいただいてきました。
 それは、私たちの努力もさることながら私たちが米軍横田基地によって受けている被害の切実さ、要求の正当性、国とアメリカの不誠実・不当性によるものです。
 私たちの運動には大義があるわけですから、国民的支持を得て必ず勝利すると思います。
 旧訴訟団以来、15年も事務局長をしてきて、いろいろ苦労もありましたが、本当に楽しかったしやりがいがありました。
 各地域の皆さんや弁護団の先生方とお付き合いでき大変勉強になりました。
 重責を外れ、荷が降りた思い半分、寂しい思い半分です。
 歴史的な大きな住民運動の事務局長をさせていただきありがとうございました。今後も、原告の一人として勝利のためにがんばります。

正月三が日飛行停止ならず

新横田基地公害訴訟団と同弁護団は、12月9日、横田基地に対し「正月三が日の飛行停止」を申し入れました。「せめて正月くらいは静かに過ごしたい」というささやかな要求です。
今年の飛行回数は三日間のべ36回で昨年の52回よりは少なくなりましたが、ほぼ10年間の平均のとどまり、「飛行停止」の要求は踏みにじられました。

元旦 2日 3日 合計
1990年 8 55 30 93
1991年 18 12 27 57
1992年 8 9 18 35
1993年 1 13 7 21
1994年 1 0 0 1
1995年 7 8 11 26
1996年 11 18 45 74
1997年 15 18 19 52
1998年 5 14 12 31
平均 7 15 17 39
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