一、はじめに
1994年から運動を始め、96年4月、3140人の原告で国とアメリカを訴えたこの裁判、運動から4年、提訴から2年4ヶ月、第1回裁判(97年2月)から1年6ヶ月が経過しました。そして今、裁判は半ばを過ぎ、早くも終盤に近づいてきました。
これまでの裁判・運動の経緯、成果を振り返り、今後の展望を報告します。
二、裁判について
この裁判はこれまでに3回、国とアメリカを相手に提訴しました。
第1回は96年4月で原告数は3127人、第2回は97年2月で原告数は2781人、第3回は98年4月で原告数は37人です。現在の原告数は5945人になります。
この3つの裁判はいずれも国とアメリカを訴えていますが、このうち国に対する裁判については、今年の7月の第8回裁判で併合されました。
併合というのは、3つの裁判を手続上、1つの裁判として取り扱うというものです。併合によって先行していた裁判に全部が組み入れられることになり、これからは名実ともに全員の裁判ということになりました。
三、国に対する裁判について
国に対する裁判は、97年2月20日を第1回とし、今年の7月9日までに8回の裁判が行なわれました。大体2ヶ月に1回のペースです。このペースそのものは、通常の裁判とそう変わりはありません。
私たちの裁判はどこが違うか。それは、原告住民が裁判の主役になり、1回1回の裁判の密度を濃く、裁判進行をどんどん進めていることです。
旧横田基地訴訟の成果を生かし、97年5月の第2回の裁判で詳細な準備書面を提出しました。これはこれまでの集大成をまとめたものです。裁判が始まった直後でしたが、この書面で裁判をこちらのペースに持っていけたと思います。9月の第4回には、膨大な数の証拠を提出しました。そして、11月の第5回からは原告本人尋問が始まりました。国はこの段階ではまだ反論らしい反論も出せず、反論を出してから本人尋問をするようにと意見を述べましたが、終始功勢な原告側意見にはかなわず、本人尋問が始まりました。本人尋問は、97年11月の第5回から始まり、次回の98年9月の第9回で14人の尋問となり、これに98年2月の検証のときの1人の尋問を加え、15人になります。すべての被害地域から代表原告が出て、被害について述べることができました。広大な被害地域ではありますが、原告住民の被害は共通しておりす。この共通した被害状況、被害感が、莫大な数の原告という形になったわけです。本人尋問で国は、「うるさい所だと知ってわざわざ転居してきたのだろう」「もう音に慣れっこになっただろう」「防音工事で静かになっただろう」とか、オーム返しの質問に終始しました。しかし、原告の反論にたじろぐ場面もしばしばでしたし、失言も多く、傍聴席の失笑を買う場面もたびたびありました。98年2月には、基地北部の瑞穂を中心に、騒音「検証」が行われました。本年10月には、昭島を中心に第2回の検証が行なわれます。また、99年の春までに、八王子・日野で第3回目の検証が予定されています。検証はこの3回ですが、いずれも検証場所で原告本人尋問をします。騒音地域で仕事をするとどんなにうるさいか、体験してもらうためですが、これもこれまでの裁判で認めさせてきた成果です。
証拠調べは、本人尋問のほか、騒音問題について学者、研究者の尋問を予定しています。国側は防音工事についての証人を予定すると思われます。証拠調べはこれで終了です。あとは、これまで出した書面について相互に反論を出すことになります。
四、今後の裁判について
98年6月、今後の裁判の進行について、原告側の意見を申入書にして提出しました。原告としては、98年10月に検証をし、11月には証人尋問、99年1月に検証、さらに証人尋問或いはビデオ検証など、3月に国側の証人尋問、5月以降は主張の補充、反論を経て、99年10月には最終準備書面を提出し、結審を迎え、終結したいという内容です。
国はこれに対し、色々と反論もしていましたが、結果的には、ほぼ、このような形で裁判は進行しております。
国に対する裁判は、来年中には終了させ、再来年には判決、これは夢でなく、実現可能のことです。また、その計画通りに進んでいます。
五、成果と課題
第1回の裁判から1根6ヶ月で終結までの見通しができてきた。それも、原告が終始功勢に出ての結果です。これは大変な成果だと思います。
今、陳述書の作成作業をしておりますが、6000人の原告、1800世帯数の陳述書の作成、これは、これまでの裁判史上、かつてない数の陳述書です。8月現在、1105通、3755原告数の陳述書が作成されています。全体の62%です。完成まであと一歩です。今年中に完成させたいものです。この大運動については、弁護士もそうですが、各地域の世話人、幹事の方々の献身的な努力がなければとても実現できませんでした。本当にこの裁判は、原告全員で作り上げてきたものだということを、あらためて実感しております。
陳述書運動の反面として、理論面に集中する暇がなく、飛行差し止めを勝ち取るための「差止論」、何度も裁判をしなくてもよいようにするための「将来請求論」また「危険への接近論」「対米訴訟論」などの研究が後手後手になっていることも事実です。この点はさらに引き締めて、新たな理論構築をする決意です。
六、対米訴訟
アメリカに対する裁判は、1次訴訟が、97年3月14日に却下判決されました。その理由は、ただ、アメリカがこの裁判に応じないからという、70年も昔の裁判例をなぞったもので、現在の国際法理論から見ると掛け離れた裁判でした。
私たちはただちに控訴し現在東京高等裁判所にかかっています。しかし、控訴後はまったく動きはありません。その後、2次、3次と裁判を提訴しましたが、これについては応訴回答もない状態です。高裁の裁判も動きがなく、2、3次については回答もないということは、国もアメリカも困っていることを如実にあらわしております。問題がなければ、どんどん結論を急ぐはずです。
ただ、この対米訴訟は、それこそ世界の世論の支援が必要な問題です。「軍隊のために市民の静かな生活が脅かされる」「夜、静かに眠ることもできない」「学校の授業も聞き取れない」、このようなことから解放されたいという要求は、人間にとって当たり前のことです。このような誰もがうなずける要求ですから、運動の輪を広げれば決して負けるものではないと確信しております。そのためにも、これまでの訪米活動、意見広告などを踏まえた多彩な運動で支えていかなくてはならないと思います。
今年、横浜の米軍上瀬谷通信基地においては、アメリカも相手に土地返還訴訟が提訴されました。沖縄・嘉手納基地の新訴訟もアメリカを相手にする予定です。
着実に、私たちの裁判を中心に、運動・裁判の包囲網は、アメリカをとらえようとしています。そしてそのようにかわってきました。展望は開けようとしております。
七、運動の盛り上がりと他の訴訟の動き
横田基地の裁判と運動、これは東京横田の問題だけにとどまりません。横田の運動を踏まえて、小松基地の騒音訴訟が2000人規模の裁判を提起し、厚木基地爆音訴訟が5300人規模の裁判を提起しました。
今年勝訴した嘉手納基地爆音訴訟は、規模を広げ、5000人以上の原告で、国とアメリカを相手に新訴訟を提訴する予定です。
確実に運動は広がり、そして勝利へ動いております。
大気訴訟では、西淀川訴訟が勝利的和解、川崎大気訴訟が国、公団に対して歴史的な大勝利を得るなど、環境問題については、人間らしい生活を守るという、当たり前の要求を認めざるを得ない段階になってきております。私たちの新横田基地公害訴訟はその時代の先端を走っている裁判です。
「環境を守り、平和への流れを作る」、この当たり前の要求を実現するまで、弁護団も全力で頑張ります。
最後に訴訟団八王子支部が提唱し、訴訟団の標語となった言葉を復唱して報告を終わります。
「意気高く、粘り強く、明るく」
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