新横田基地公害訴訟団ニュース

第31号  (2000年 4月18日)
ゴールが見えてきた裁判
弁護団事務局長  吉田 栄士
1996年4月の提訴より、5年目に入った新横田基地公害訴訟は順調に進んできていますが、皆さんの「裁判どうなっているのか」「いつまで続くのか」の疑問にお答えするため、弁護団事務局長の吉田栄士弁護士に聞きました。

3月9日に第16回の裁判が行われました。
国は裁判に先立ち、騒音被害があることを知って被害地域に転入した人は賠償金を減額すべきとして、原告のうち六五名からその事情を聞くために尋問申請してきました。
私たちは、問題のある「危険への接近論」のために、長時間かけて尋問する必要性はないと反対しました。ところが裁判所は、直接原告からこの事情を聞きたいとして尋問を採用しました。
 ただ、65名の尋問を短期間で終了させるため、5月18日から6月22日までの毎週木曜日(6月8日は除く)の朝から夕まで、計5回で終了させるとしました。
これまでの原告尋問は2ヶ月に1回のわりで、
14名に、10ヶ月かかりましたから、65名の尋問を1ヶ月で終了させることは、裁判所にとっても大変なことです。
早期結審、判決の決意なくしてはこのような決断はできません。
さらに協議の結果、「陳述書」を提出することによって、裁判所での証言に代えることも可能になりました。
私たちは、裁判所のこの決断、姿勢を積極的に評価し、この提案を受け入れると共に、65名の「陳述書」を提出することによって、できるだけ裁判を短縮するとともに、原告の移住の具体的事情、移住の必要性を裁判所に提出し、生活実態を理解してもらうようにしました。
これまで私たちが主張してきたように、この首都圏の住宅密集地への移転や再転入が、被害を認め、あえて居を構えたなどという馬鹿げた主張は通るはずもありません。 現在、4月10日までに陳述書作成を終了できるよう、各地域の幹事さんと協力して行っております。
裁判官はとにかく早く結審したいと言っております。この陳述書、原告本人尋問が終了すれば、あとは最終準備書面の作成です。
私たちは、裁判所の意気込みから想定して、この夏ないし、秋までに結審、来年4月までに判決がなされると予測しています。
ゴールは本当に間近です。
皆さん、一日も早く、勝利判決を勝ち取るために頑張りましょう。


『めざそう10万署名』  〜軍民共用空港化反対署名〜
国側の裁判引き延ばし策を打開し、早期結審の促進と公正裁判を要請する署名、および、石原都知事の「横田基地の軍民共用空港化」に反対する署名活動は、当初の目標1万名署名を突破することができました。
裁判所に対しては、昨年12月9日と3月9日の2回に分け、合計13,065名の署名を提出致しました。
この結果、3月9日の裁判で、結審へのスケジュールが固まってきましたので、裁判所向けの署名はうち切ることに致しました。 
「軍民共用空港化」については、都知事は地元五市一町の同意をえられず、新たに「横田基地の民間利用を考える会」を組織し、外堀を埋めようとしており、予断を許しません。
その上、横田基地の調査報告書を作成し、騒音被害は現状と変わりなく、経済効果のみが大きいとバラ色の話を都民に振りまいています。
こうした状況から、都民や近県の多くの人々に真実を訴え、軍民共用空港化の反対署名を大きく広げていきましょう。現在約2万筆届いていますが、10万の署名を達成して都知事に政策を断念させるまでがんばりましょう。


差し止め請求認められる
―尼崎大気汚染公害訴訟―
1月31日、神戸地裁は、尼崎大気汚染公害訴訟において、一日平均値0.15ミリグラム/立法メートルを超える浮遊粒子状物質(排ガスなどに含まれる直径10マイクロメートル以下の小さな粒子)の排出差し止めを命じる判決を出しました。
同訴訟は、大気汚染により喘息などに患った人たちが企業や道路公団、国を被告にして、1988年および95年に提訴した事件です。
498名の原告のうち、右判決までに132名の原告が亡くなっています。
昨年2月に企業との和解が成立し、道路公害について国と道路公団を被告とする訴訟だけ残っていました。


「静かな夜」取り戻そう  〜基地公害訴訟の仲間は手を取り合って〜
弁護士  中杉 喜代司
一.大気汚染訴訟としては、千葉、大阪西淀川、川崎、倉敷、尼崎、名古屋南部、東京の各訴訟が闘われました。
企業だけを訴えた千葉および倉敷を含み、西淀川、川崎では企業に対する損害賠償が認められ、その後、企業との損害賠償を内容とする和解が次々と成立しました。
しかし、国や道路公団といった公的機関に対する道路公害については、損害賠償も認められていない状況でしたが、九五年に西淀川の大阪地裁判決が初めて道路公害につき損害賠償を認めました。
さらに、98年の横浜地裁川崎支部判決では、道路公害が現在でも進行中であることを認め、国と道路公団に損害賠償を命じました。
この二つの訴訟は、その後、高裁において国や道路公団が公害のない街作りに向けてさまざまな施策を行うことを約束し、和解が成立しました。
このような大気汚染訴訟の流れを受けて、尼崎の訴訟団は企業との和解を経て、1月31日の国、道路公団に対する判決を迎えたのです。

二.公害訴訟では、損害賠償が認められることは多くなっていますが、差し止め請求まではなかなか認められません。
特に、基地騒音公害訴訟と同じく、国の公的機関に対する差し止め請求は、公共性という壁をのりこえることが難しく、ほとんど認められていないのが現状です。
ところが、大気汚染公害訴訟では、全国の各訴訟が協力しあって、数千名の集会や、企業、国などとの交渉、さらに、100万名署名などの運動を積み重ねて、一歩ずつ前進しながら、ついに尼崎で差し止め判決を勝ち取ったのです。

三.基地騒音公害訴訟は、全国で、新横田、小松、厚木、新嘉手納の四訴訟があります。
3月27日の新嘉手納基地訴訟の提訴で、原告数は実に1万8千名に達するまでになりました。 この原告数は、大気汚染訴訟の原告数の数倍におよび、全国の公害訴訟でもだんとつに多い原告数です。
このように多数の原告の皆さんが協力し合えば、新横田をはじめとする基地騒音公害訴訟においても、必ずや「静かな夜」を取り戻すことが出来ると思います。ともにがんばりましょう。


東京都政策報道室と懇談
「横田基地の軍民共用空港化反対」署名提出
1月28日、弁護団と訴訟団は都庁において横田基地の軍民共用問題を中心に、都政策報道室と懇談した。
都側から報道室副参事藤田祐司氏他1名、弁護団から団長の榎本、事務局長の吉田、および盛岡、中杉の4弁護士、訴訟団から代表幹事の小板橋、大野、山口の三氏および事務局の堀氏の計8名が出席した。
はじめに小板橋代表幹事より都側に懇談の場を作っていただいた事に感謝の意を表明した後、原告としての横田公害訴訟の実状と経過を報告した。
続いて今回都が発表した「軍民共用」のプレアセスについての問題点や騒音被害の意図的な矮小化についての批判を盛岡弁護士、大野代表幹事から行い、都の見解をただした。
これに対して都側から、騒音実態については横田の管制データを要求したが入手できず、瑞穂と、昭島大神の都の独自データのみを使う事としたこと、また飛行回数の少ない平成10年度のデータを使った事については過去の事情をよく把握できていなかったため、直近データが妥当と判断したこと、さらにNLPが考慮されていない事については、都はもともとNLPに反対なので、その中止を前提としているなどの説明があった。
中杉弁護士が、軍民共用は間違いなく騒音公害を拡大するものであり容認できないこと、また軍民共用は都のいう「基地返還への一里塚」ではなく、基地の強化、空港の定着化につながるという懸念を指摘した。
山口代表幹事は、瑞穂町では駅周辺が飛行直下にあり都市計画がままならない、と訴えた。
最後に、都としても更に勉強したいとの表明があり、弁護団訴訟団側もこれを最後の懇談とせず是非続けたいという意向を表明して懇談をおえた。約束時間は1時間としていたが1時間半におよんだ。
懇談後「軍民共用反対」署名約1万筆を第1次分として都に提出した。


米軍機「夜間・早朝飛ぶな」  〜力を合わせ、「差し止め」勝ち取ろう〜
新嘉手納基地爆音差止訴訟提訴行動に参加
菅間  徹
3月26日早朝、今回「那覇地裁沖縄支部」に提訴する「新嘉手納爆音差し止め訴訟」支援のため新横田基地公害訴訟団山口、小板橋、菅間の三名・榎本弁護団長とともに羽田飛行場をあとにしました。
3月末の沖縄はまさに初夏そのものでした。冬支度で埼玉・飯能を出かけましたので、ホテルに着くなりセーター、下着を脱ぎ捨てました。
午後から「原告団結成・総決起大会」が開かれる農民研修センターに向かいましたが、会場では開場前の文化行事として「芭蕉布」等々の歌を全員合唱していました。
集会には基地周辺の六市町村から500名以上の原告が集まる中、原告団長は「米軍基地が違法な状態で周辺住民の暮らし、健康を害していることは明らかだ。飛行差し止めを勝利するまで、闘いぬこう」と決意表明され、これに応えて六市町村の支部長も「静かな夜を返せ」を合い言葉に最後まで闘い抜くことを決意、一気に最高潮にたっしました。
27日の「那覇地裁沖縄支部」前の提訴行動では、「新横田基地公害訴訟団」「厚木基地爆音訴訟団」「小松基地爆音訴訟団」と弁護団も連帯の挨拶をしました。 
小板橋代表幹事は「人口の割合からすると新嘉手納訴訟原告団の組織がいかに重く、大きいものであるか分かる」と激励しました。
9時55分原告団長と弁護団長らは段ボール3箱に収められた5544名全員の委任状を携え、提訴しました。
参加者からは「故郷は弾薬庫に変わり、住んでいる場所は日夜爆音に悩まされる。静かな生活を取り戻したいと家族全員で原告に加わった」「爆音のせいで、電話やテレビに集中できない。子どもたちの成長に悪影響を及ぼしているのではないか」と、こもごも切実な思いを語っていました。
今回の訴訟では「新横田基地公害訴訟団」と同様に新たな被告に「アメリカ」も加え、「早朝・夜間の飛行をやめよ」と全国2番目のマンモス原告団になりました。
厚木基地訴訟でも、これに続きたいと代表が決意していました。 全国の仲間と力をあわせ「早朝・夜間の飛行やめよ」の合唱で日米政府を包囲しましょう。
せめて、アメリカにも日本の国内法を適用させ、人並みの生活を取り戻すためガンバル決意を新たにして沖縄を後にしました。


感動と発見の沖縄「命宝の家」も訪問
小板橋 稔市良
3月24日、名護を経て、まさに初夏、うりずんの本部の海辺に泊まる。
翌朝、「命宝の家」の阿波根昌鴻さんに学びたい一心で伊江島に渡る。
松浦弁護士の紹介で「やすらぎの家」に働く、湊晴代さんが港に迎えてくださる。
島内を案内いただき、ノーベル平和賞に推挙の運動が高まる阿波根さんのすごい闘いー非暴力平和運動ーの貴重な資料を意気をのむ思いで見学した。
実はちょうど、発熱などの原因究明のため彼は本島に入院中。そのお世話もあり多忙な中、懇談していると、思想的に阿波根さんの分身かとさえ感じた謝花女史とお話しできたもの嬉しかった。お土産に、貴重な阿波根さんの記録ビデオ2本を頂戴した。訴訟団の財産として鑑賞、学習したい。 湊さんの電話で、「おじいさん」は元気に退院したとのこと。次回訪問の時、拝顔したいと思う。 26日、沖縄市で、意気盛んな新嘉手納訴訟団の結成総会。
27日は、那覇地裁沖縄支部提訴集会へ。
我が訴訟団のたすきが目立ち、記者団の取材対応に追われるなか、突然の要請で横田を代表して挨拶。5544名の大原告団に敬意を表し、ともに米国政府をも訴える歴史的意義、心からの連帯、共闘の決意を述べたつもりだが・・・・。
その後、新嘉手納訴訟団の役員、大湾さんの案内で、「安保の見える丘」へ。
爆音のひどさと事故で有名なハリアーやF一五等が縦横に飛び回り、ホバリングする殺人的轟音を体験。
偶然お目にかかった日本一の爆音被害の北谷町砂部の区長さんに現地を案内いただくこともできた。騒音性難聴患者が最も多く、耐えかねて移転した戸数186戸。
破壊される地域社会を必至に守りつつ訴訟に立ち上がる人も何倍も増えたこと、貴重な資料に目を通しながら深い感銘を受ける。
青い空、青い海、ジュゴンの住む辺野古も見たい。
知らないことばかり、発見と沖縄の心からも学ぶことが多い沖縄へみんなで行きませんか。


『百聞は一見にしかず』基地見学においでください
月に一組ほど、若い人たちが横田基地見学や、訴訟団との懇談に訪れます。
3月6日には、司法修習生が見学と基地騒音公害訴訟の学習会を行いました。
その感想が届いていますので、ご紹介します。
横田基地は思った以上に大きかった。
狛江や田無よりも大きいというのだから、こんなものが東京に居座っているのは本当に異様なことだと思う。町の発展を阻害しているというのもうなずける。
途中、ヘリや輸送機が離発着しておりうるさい。戦闘機はちょうどよく飛んでこなかったが、いつ飛んでくるかと言う不安がまた、住民を困らせるのではないだろうか。
次に、弁護団のお話を伺った。アメリカに対する夜間差し止め請求をやっているが、下級審では却下されているという。日本政府への差し止め請求も却下された上、直接の加害者であるアメリカ政府への請求もたてられないのは、なんかおかしいような気がする。司法的救済の余地がまったくないというのは、裁判所の判断として妥当なのだろうか。最高裁の判決が待たれる。
騒音の賠償請求は、原告6000人の大型訴訟になっていると聞いて、驚いた。こんな人数が集まるのは、それだけ騒音の深刻さを物語っていると思う。
どれだけ多くの住民に迷惑をかければ日本政府は基地問題の深刻さを実感するのだろう。多額の賠償を払わすことが政府に基地問題の解決を促す道だ、というような話が出てきたが、よく練られた訴訟だと感心した。
政府は基地周辺に暮らしだしたのが悪いといっているようだが、公団住宅をどんどん造らせたのはほかならない政府ではないか、大儀は原告の側にあると思う。
最後の質問の際に、6000人の原告を集めることの苦労を聞かせていただいた。
原告団の方々は、「騒音に悩むのは老若男女を問わず、思想信条を問わず共通だ。騒音被害の解決という一点にしぼって力を合わせなければいけない」とおっしゃっていた。
生活を守るためには大同団結しかない、そういう実感のこもったお話で締めくくられた。(H.)
人としてあたりまえに暮らしたい
八王子支部  志村 美津江

私たち家族は平成4年に中野区より、この久保山町へ越してきました。
緑は多く、窓からは空や、雲が見えました。目の前を遮るものがないのが不思議な気がしました。休みの日には、布団を干し、洗濯をし、窓から入る日差しや、さわやかな風に、心豊かになりました。これからのここでの生活に何の不満も、不安もないはずでした。
でもあったのです。今まで見たこともない大きな物体が頭の上を、大きな轟音とともに通り過ぎたのです。びっくりしましたし、上から覆い被さってくるような恐怖感を感じました。
これから毎日こんな生活が続くのかと思うと、不安と不満でいっぱいです。こんなはずではない、もう少し安心して、ゆったりした気持ちで生活がしたいと思いました。
そんなとき、訴訟団を知りました。今まで、報道などで知ってはいましたが、それはあくまで“他人事”でしかありませんでした。公害問題に自分から参加するようになるなんて思ってもいませんでした。
去年、機会があり、裁判を傍聴することができました。
初めての経験で緊張し、内容は詳しく覚えていませんが、ことの重大さを、つくづく感じたように思います。
人として、当たり前の生活条件をこのように破壊されている。原告として、今、この事実を認識し、このまま我慢をすることが当たり前にならないように、強く訴えていかなければ・・・と思います。
時間の許すかぎり裁判などを傍聴し、今後を見届けたいと思います。 


国の騒音測定データは『デ・タ・ラ・メ』  −第16回裁判を傍聴して
瑞穂支部  岡口 明
今回は、私たちの弁護士による意見陳述と、裁判官が結審に向け、強い決意を示す5月、6月の集中裁判日程の提示でした。
私たちは、基地の周りに住むがゆえに傍若無人な騒音被害に悩まされてきています。
この被害をいかに軽減するかをまず、考えるのが国のとるべき道で、そのため被害実態を正しく調査することは基本的な仕事であると思います。
ところが、国の出してきた騒音データのデタラメさには、あきれかえりました。
重要な防衛機密なので提出できないと、30年近く言ってきた国は、騒音監視体制のズサンさを明るみに出てしまうので提出を拒んでいたことがよくわかりました。
陳述で言われたように、裁判を長引かせて、ムダな税金を使うことは、国による被害放置と税金浪費の二重の犯罪行為であると思いました。 裁判結審まで、もう少しです。皆さんガンバリましょう。

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