新横田基地公害訴訟団ニュース

第32号  (2000年 7月 7日)
いよいよ結審へ
弁護団事務局長  吉田 栄士

一、原告本人尋問一ヶ月で終了

5月18日から始まった原告本人尋問は6月15日に終了しました。
多くの原告の皆さんが裁判に参加され、いつも法廷は一杯でした。
尋問をすればするほど、被害地域で生活せざるを得ないという事態が浮き彫りにされました。誰が「騒音を好んで」そこで生活するというのでしょうか。
国は被害を容認していると言い張りますが、こんな言い方は非常識だということが、今回の尋問で明らかとなりました。

二、国の意見書は非常識

6月15日そして、6月22日に、今後の裁判進行についての協議を、裁判所・国・原告で行いました。
私たちは、あとは最後の裁判期日だけだと裁判所、国に結審を迫りました。
国は、6月15日提出の意見書で、居住事実を知るために、今後も原告本人尋問を追加するとか、全員に陳述書を出させるとか、全員について聞き取り調査をするとか、おおよそ出来もしないことを要求し、裁判所を混乱させようとしました。
しかし、裁判所は認めない方向です。
また、国も、そうは述べたものの、協議ではこのことはいうこともできずじまいで終わりました。

三、9月8日には結審日決まる

今ある問題は、国の「危険への接近」主張です。国は具体的には、誰がこれにあるのか言ってはおりません。
22日の協議の中で8月末までに具体的主張を出すことが決まりました。
次回の協議は9月8日です。その時に最後の裁判期日―結審日が決められます。

四、原告の住所確定

また国は、被害地域に原告が居住している事実について、原告が住民票をとって提出することを求めています。
しかし、国はすでにほとんどどの原告の住民票を取っています。
私たちは住民票を取るのはよいが、国が持っているのでそれを出してくれればすむではないかと言っております。
今までの裁判では居住の事実は協力し合って確認してきました。
しかし、国は今回「協力したくない」と言っています。国の態度はかたくなですが、この点は協議できると思います。
いずれにせよ、残された問題は原告の住所の確定と、国による「危険への接近」の主張だけになりました。
仮に、一部原告側で住民票を取ることになっても、その作業は弁護団が責任を持ってしますし、保管・管理にも万全を期するつもりです。

五、結審へむけご一緒に

弁護団はこの7月と9月に最後のまとめの書面を作るため、合宿を予定しています。
22日の協議の際、国は裁判所に今後の予定をたてるため、「結審日」を早く決めてほしいと要求しました。
これは私たちが今まで言ってきたことです。
裁判所は判決をする場ですので、慎重な態度ですが、三者とも結審を前提とした作業に入ったということです。
これからは結審・判決を前提とした運動もおおいに盛り上げていかなければなりません。
弁護団・訴訟団とも、これまで以上に協力しあい、勝利判決を勝ち取るためにがんばろうではありませんか。


原告の皆さんへ

提訴以来、早4年と3ヶ月が過ぎ、いよいよ結審・判決日程が具体化する運びとなり、最後のコーナーへさしかかりました。
この間、みなさまには裁判の傍聴をはじめ陳述書の作成、原告本人尋問、現場検証への参加と、大変ご苦労をおかけいたしました。
これからは、今までの成果をしっかりと実らせるために手をゆるめることなく、勝利判決へ向け地裁の人たちや、支援の諸団体、そして同じさ騒音裁判に取り組んでいる厚木、小松、嘉手納の皆さんと団結し、マスコミをはじめとして国民世論に訴えていこうではありませんか。
具体的取り組み内容は7月末の弁護団合宿において決定いたしますが、署名活動や決起集会、横田平和まつりなど、あらゆる機会を通じ、旧横田訴訟の最高裁判決を無視し続ける国および米軍を追及し、勝利判決獲得に向けさらなる活動を行いたいと思います。
どうか原告の皆さんにはもう一踏ん張り、力をお貸しくださいますよう心からお願いする次第です。

新横田基地公害訴訟団  代表幹事一同
堂々証言 本人尋問の原告
基地被害放置した国の「危険への接近」論
騒音被害地域を何度も移転している原告について、国は本人尋問を申請し、裁判所がそれを採用したため、5月18日、25日、6月1日、6月15日に、総勢29名の原告が証言しました。これに先立ち、原告側は移転理由を述べた陳述書を提出しました。
原告としても、被害地域であってもそこで生活しなければならない事情があります。ましてそこは、東京が抱えるベッドタウンなのですから。
裁判では、原告それぞれの生活実態を表し、国の申請が以下に不当なものであるかを示しました。傍聴者も延べ300余名が参加しました。

▽時間の無駄使いはやめて下さい  ―本人尋問を受けて―     平塚 真紀夫
6月15日、私は原告本人尋問を受けました。
感想はというと、国の尋問は「情けない」の一言につきるということです。
裁判所で尋問に立つことが決まってから、弁護士の先生と、陳述書の再確認をしました。
その陳述書に書いてあることに対して、ウソがあるかのような、疑惑を持った国側の訊き方でした。
質問はどこで生まれ、どこに住み、なぜ移転したのか、プライベートなくだらないもので、さもそこに住んでいる私が「悪い」とでも言うようなものでした。
ひとの人生を否定して、時間をもてあそんでるとしか思えませんでした。
これ以上時間を無駄にするなと言いたいです。

▽はじめて裁判を傍聴して     昭島支部  谷川 セツ
昭島市美堀町は、緑に恵まれ、窓を広く開けると、小鳥の鳴き声と一緒にさわやかな風が入ってくるとても住み良いところです。
ただ、ひとつ、米軍機の騒音さえなかったら。
5月25日初めて裁判を傍聴しました。
これまでニュース等だけで知っていたという程度の認識しかなかった私にとり、予想以上に重みのある体験でした。
長い年月、このような戦いを続けてこられた訴訟団事務局の方々や、弁護団の諸先生方のご苦労がどんなに大変なものだったかと頭が下がります。
このたびの裁判は原告ご本人に対する国側の尋問ということでもあり、お一人、お一人の言葉につよい共感を持って聴いておりました。
私の退職して昼も夜も家にいることが多くなって、あらためて騒音のすさまじさをいやと言うほど味あわされています。
ひと仕事を終え、さて涼しい風をいっぱい入れ、玉川上水両岸の美しい新緑を楽しもう。
そして、これまで見られなかったテレビを見ようか、ゆっくり本を読もうとうきうきしていると、あの轟音がテレビの音を消し、神経をいらだたせるのです。
健康な私でさえこのように悩まされているのですから、直下の拝島第二小学校で学んでいる子どもたち、授業に集中させようとがんばっておられる先生方、スヤスヤ眠る幼児の姿が目に浮かびます。
他国の飛行機の騒音に悩まされ、我慢させられていることを、国はもっと、もっと誠意を持って理解してほしいと痛感させられた今回の裁判傍聴でした。

▽国の「危険への接近」減額論は
     危険放置の無責任・裁判ながびかせ論     八王子支部  中村 光春
国は「騒音被害を知りながら転入した原告は賠償額を減らす」との主張を裁判所に認めさせるべく、原告本人尋問を5月18日第17回裁判で行った。
すでに、6年も前に最高裁判決があるにもかかわらず、国は何らの対策もせずに放置しておきながら、転入者に被害を甘受せよと迫っています。
住居を定めるのはその人の人生・歴史の恩重みを背負っているものです。
被害は等しく受けているのです。国の尋問は「いつ引っ越したのですか」「どこからですか」「理由は何ですか」等だけでした。
これらのことは陳述書にかいてあることがらで、ことさら正す内容でないことは明白です。
これを40名も出頭させ、4日もかけて行うとのことです。
私は国の尋問の程度の低さにあきれて、裁判長があと3日もあるこの種の公判は中止しようと言い出すのではないかと思うほどでした。
優秀であろう国の代理人たちが住民の安全や利益を守るのでなく、無責任な態度で裁判を長引かせようとしているのに怒りを新たにしました。
無責任が通って、道理が引っ込んではなりません。

▽5月25日の裁判 傍聴しました     瑞穂支部  和田 ウメ子
傍聴も二度目なので、何となく落ち着けたように思います。
騒音被害地域を何度も移転している原告に、その理由を問うものでした。
自分のことを重ね合わせても、騒音や危険性もあまり深く考えずに、慌ただしく、住んでしまう場合が多いようです。
だからといって、誰しも住宅地に住んでいる以上、権利は守られるはずではないでしょうか。
基地の方が被害軽減をはかるのが本筋なのだと思います。
基地の存在について考えてみますと、人はよい条件を得るために競争します。
競争は質が悪くなると力づくともなり、軍事で威嚇し行使するようになります。
基地の存在は有利かもしれませんが、爆音や金属音を聞くたびに、人間の本性が思われるようでとてもイヤです。

▽本人尋問を傍聴して     福生支部  矢口 隆
6月15日に行われた本人尋問の傍聴に行って来ました。
本人尋問は福生市の方が1名、昭島市の方が2人ということで進められました。
国側の尋問は、転居の理はともかく、基地がすぐそこにあるのを知っていて転居を繰り返している。騒音がひどいのによそへ転居しないことをしつこく繰り返し繰り返し尋問していました。
原告の方々は、仕事上の関係や、実家との関係など、ごく当たり前のことで誰もが分かることを証言されていました。
実際に、基地の周りはほとんど住宅地になっていて、公共の住宅さえあちらこちらに建っているのに、現状を理解しないで「危険への接近」といわれても被害を受けている私たちには、とても納得できないものです。
本人尋問はこれで終了となりますが、国側はまた、裁判の引き延ばしをねらっているようですので、早期に結審させるようにさせたいものです。

裁判を傍聴して思うこと
青井 傑 (作家)
中学時代からの親友である小板橋君に誘われて裁判を傍聴した。実は、2,3年前にもやはり彼に誘われ、そのときは創作の取材がてら傍聴したものだった。
小板橋君に横田基地も案内してもらい、訴訟運動を背景に短編小説「鈍色(にびいろ)の機影」を民主文学(98年10月号)に発表した。
今回また誘いの電話があり裁判の現状も聴かされた。どうやら被告の国側は負けを予測し、賠償金を値切ることに腐心苦しているらしい。
そこで持ち出されたのが「危険への接近」論だという。聴いていて笑ってしまった。
訴訟裁判史上にのこるであろう壮大な裁判にしては、いかにもミミッチイ。こういうのは格好の小説のネタになる、とまた不遜な気持ちがわいて、傍聴することになった。
裁判は401号法廷で5人の承認への尋問であった。傍聴席からみた証人の後ろ姿には重圧に耐えている様子が背中や首筋に表れていて、私は胸を打たれた。
国側の弁護士なのか、チョット場違いな真っ赤なスーツを着た女性が、騒音を承知でなぜ引っ越してきたのかなどと、プライバシーをネチネチと訊き、証人は毅然と答え、私は傍聴席で腹をたてている。
「危険への接近」とはふざけた話だ。うっかり交通事故に遭おうものなら、クルマが多く危険なのを承知で東京に住んでいる方が悪いとでもいうのだろうか・・・。
裁判を傍聴し、基地の住民ではないが、私は私のやり方で訴訟運動を支援したいと思っている。


梅雨空もびっくり
日野支部  祖母井 美章
低くたれ込めた雲の切れ間から、轟音とともにまったく突然現れる灰色の巨体。
その物体は私の家の側にそそり立つ送電鉄塔の先端すれすれにかすめ、猛烈な爆音と振動をまき散らしながら、再び雲間に消えていきました。
思わず「ウソ」という叫びがほとばしります。
それは米軍の大型輸送機が超低空飛行で通過するときです。
目で見たかぎり高度はせいぜい150メートルぐらいにしか見えません。
毎年梅雨時になるとこのような光景がしばしば見られうのです。晴れている時も同じように超低空で飛ぶことはしょっちゅうあるのですが、かなり遠方から機影が見え、音が聞こえるものですから「あゝ来たな」と心構えができます。
しかし、梅雨時は予期せず、突然現れるという感じになりますので、とても驚くのです。
梅雨のうっとうしさはいざ知らず、ひどい騒音と、危険にさらされながら、日常生活を送らなければならないことに、強い怒りを覚えます。
今、私は梅雨の雲の切れ間から早く青空をのぞみたいです。


初めて実現市長との懇談
八王子支部幹事  佐々木 益茂
5月29日、八王子市長応接室にて、黒須隆一市長との懇談会が行われました。
市側から下田環境部長が同席され、また、市との交渉をお願いした長谷川節子市議会議員も参加してくださいました。
今年1月の選挙で、黒須隆一さんが新市長になったのを機会に、新たな思いで申し入れを行ってきたところですが、訴訟団として初めて市長との懇談が実現しました。
弁護団から榎本団長、松浦弁護士、訴訟団から、大野、小板橋代表幹事、そして、八王子支部から8名、計12名の参加でした。
まず、参加者の紹介、この機会を設定していただいたお礼を申し上げ、ご理解とご支援をお願いし、弁護団から訴訟の主旨と経過の説明をし、懇談となりました。
航空機騒音、事故の危険性や、軍民共用空港化の問題点などについて意見交換しました。
市長より、この運動について理解を示され、要望に対しては全て同じ考えとはいえない旨の話がありましたが、文章での回答をお願いしました。
参加した皆さんの感想は、「友好的で良い雰囲気で参加してよかった」「自分の言葉で話され、住民の声を聞く姿勢を感じた」「一つそして一つと理解していただけるよう期待したい」等でした。
私はまず、訴訟団へのメッセージをお願いしたい。
そして騒音被害地の九市一町の協議会ができたらの思いを強くしました。


横田基地にリ発着する航空機の年間飛行回数
1995年 1996年 1997年 1998年 1999年
昭島市 拝島第二小 15,385 15,577 14,364 12,829 10,731
福生市 滑走路南端 17,512 16,709 13,282 14,088
福生市 市役所屋上 3,516 3,526 4,437 2,082 3,050
瑞穂町 農産物直売所 13,054 12,433 14,371 12,101 10,046
上表のように、福生市の測定以外は減少傾向がみられる。
しかし、福生市によれば、全体の減少は常駐機であるC130(中距離輸送機)の一部(6機)が2年前に米国へ配置換えとなり訓練飛行が減ったことの影響であるが、代わりにNLPの訓練飛行が増えたため、福生市上空での飛行回数は前年より増加しているとのことである。(東京新聞より)
したがって、米軍の基地運用の仕方でいつでも飛行状況は変わることを意味しており楽観は禁物である。

*96年の滑走路南測定は見直しの年にあたりデータなし


5月29日に提出した八王子市長への要望事項
1.多くの八王子市民が被害を受けている本公害訴訟への一層のご理解・ご支援をお願いいたします。
(1)裁判の傍聴にご出席ください。
(2)各地域から裁判所までのバスを運行してください。(昭島市では実施中)
(3)引き続き訴訟団との懇談会・情報交換会を開催してください。
(4)訴訟団から要請している「ニュース」「シンポジウム」などへのメッセージを他の自治体同様お願いします。
(5)米軍機の騒音被害は八王子10数万人に及びます。市としての騒音調査を実施し、公表してください。
(6)八王寺市民の騒音被害を一層拡大する石原跡地時の「横田基地軍民共用空港化」に反対してください。

2.「横田基地に関する東京都と周辺市長連絡協議会」に関して次の諸点をご検討ください。
(1)被害住民が多数居住する日野市、飯能市、入間市とともに八王子市も協議会への参加を実現し、被害地域自治体の発言力を強化してください。
(2)被害地域住民の健康被害などを調査し、「環境影響調査」の実施と結果を公表してください。または、国と東京都に求めてください。
(3)訪米団を組織し、横田基地の被害住民の現状をアメリカ政府、議会に伝えてください。
(4)旧横田基地公害訴訟の東京高裁和解条項にある「国、住民、周辺自治体、米国関係者による、騒音被害の軽減対策のための恒常的協議機関の設置」を国に求めてください。

新横田基地公害訴訟団八王子支部  代表世話人  阪下 圭八
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