新横田基地公害訴訟団ニュース

第45号  (2002年9月20日)
騒音被害ひっさげて高裁へ
▼悔しさ高裁へ 八王子支部  田中 龍男
陳述書を出さなかったことを唯一の理由として、横田騒音公害が認定されなかった悔しさ。認定されなかったといって騒音がなくなったわけでない。認定されなかった原告のの家の上を米軍機がさけてとおるわけでもない。この悔しさを高裁で晴らしたい。今回の地裁版家悦にもかかわらず、騒音公害がある限り輿を吸えて闘いを続ける決意を一層固めている。


▼一人ひとりが大きな力に 昭島支部  富村 ヤス
神奈川県葉山に越してきて四年になります。昭島の友達との電話中「今のうるさいのはなあに」と聞くと「もう忘れちゃったの。飛行機じゃない」としかられるくらい、騒音のことは忘れています。でも先頃控訴委任状が届き、すぐ書いて送りました。腎臓の病や、喘息などに悩まされ、その上飛行機の騒音で言葉に表すことができない程たいへんだったことを思い出します。子どもが受験の時のこと、テレビは聞こえなくなるだけでなく画面がぶれること、四〇度の熱だしていても容赦なく飛行機は飛んできたことなど。
ここではかえるやセミ、虫の声を聞き、寝入り、目を覚ますことができます。昭島のお友達への土産にきれいな空気と静かな環境を持っていってあげたいといつも思います。−帰りに騒音のおみやげは要らないのですけど。葉山に来てからは騒音から解き放たれ、ストレスがなくなったせいか、病気まで良くなって、いまだうるさいところにいる皆さまに申し訳ない思いでいっぱいです。一人でも多くの方が一緒に闘った方が力になります。遠くにおりますが少しでもお役に立ちたいといつも思っています。


▼福井代表幹事の遺志をついで 遠山 陽一
福井さん福生の後をついで代表幹事になりました。1審の八王子判決とときを同じくするように福井さんは亡くなりました。新訴訟がすべて終わるまで元気で代表を務めていただきたかったのに残念です。思えば福井さんとは長いつきあいでした。旧訴訟からと最近では老人会でもお世話をかけることになりいなくなって寂しいですね。遠山さん頑張ってよと多くの人に慰められたり、励まされたり。事務局長は鈴木さんが引き受けてくれたので安心しております。福生支部長は幹事になったばりの御供所さんがやってくれ手下ります。今回の委任状のことでは大活躍で、福生支部に新しい空気を吹き込んでいます。上田さん、秋山さん,針生さんも御供所さんに良く協力して下さり高裁に向けて着々と準備が進んでいます。矢口、片桐両幹事も仕事が忙しいなかをやりくりして引き続き頑張ってくれています。私も代表幹事の初仕事として上瀬谷の判決に横浜まで行って来ました。これは通信基地としてすでに使用されていない実態の上に自分の土地収容期限も過ぎていることからたった一人で土地を返せと訴訟を起こした裁判です。訴えは却下されましたが、控訴して最後迄闘う決意が表明され、これを機器ながら我が訴訟団の代表としてこれから記を引き締めて新たな覚悟で任務をつとめたいと思っております。


▼汗も出して、知恵も出し 事務局長  鈴木 文夫
9月末をめどに控訴委任状の取り組みが急ピッチで進んでいます。説明会や郵送の方を除いて、約半数のお宅を一軒一軒訪問しての作業だけに、その努力も時間も膨大なものです。日本の裁判史上初めてといわれる6000人からの大型訴訟、ぜひ勝利して、静かな夜を取り戻しましょう。私は97年第2次提訴からの参加で皆さんと一緒に運動に取り組んできました。出身は東京、日の出町で八王子に住んで35年程になります。新米の事務局長ですが、全員者に負けない頑張る所存です。皆さんのご協力を心からお願い申し上げる次第です。


弁護団事務局長を退任して
弁護士  吉田 栄士
控訴審に向けての7月合宿で、弁護団の事務局長を退任致しました。
94年7月に事務局長になりましたので、丁度8年間事務局長をした事になります。裁判では随分心配させたと思いますが、訴訟団結成以来8年、一丸となってやってこられた事を感謝しています。
旧訴訟が終了した94年の7月頃、新訴訟に向けての準備会が結成され、その時に事務局長の要請を受けました。『一万人訴訟』『対米訴訟』というとほうもない事が計画されていました。とても事務局長など務められないとしりごみしていましたが、いつの間にか「前」に押しやられてしまいました。
二年間の訴訟団結成運動も大変でしたが、訴訟が始まってからは予想外の仕事が山積しており、今思うと、よくぞやってこれたなという感じです。
当初、訴訟団の事務局長は角谷さんで、それこそ二人三脚でやってきました。角谷さんは旧訴訟からの中心でしたから運動については安心しておまかせしておりました。
次の遠山さんも旧訴訟からの仲間で、遠山さんの持ち味でやってもらいました。この8年、多くの時間を横田基地訴訟に費やしました。横田という大型訴訟を通じて「裁判」を学び、弁護団に助けられ訴訟団と協力する事で、訴訟遂行以上の多くのものを学ばせてもらいました。事務局長としての8年は、私の弁護士活動の作風を作った重要な年月で、これは私の大切な財産です。これからも、横田基地訴訟をささえていきたいと思います。
訴訟団の皆さん、これまで本当にありがとうございました。


弁護団・訴訟団合同合宿で控訴審へ向け方針を討議
             弁護団事務局長に土橋実弁護士就任
去る7月20日、21日の両日、青梅かんぽにおいて、一審判決後初の弁護団・訴訟団合同合宿を行い、一審判決の総括と控訴審をどうたたかっていくかを、組織体制を含め討議しました。この合宿に参加した人員は、弁護団17名、訴訟団13名でした。
総括の中で、この巨大な訴訟を判決まで維持し、基地騒音被害の実態を国側にアピールすると共に、多額の損害賠償金を勝ち得た事は、大きな成果として評価できる。 しかし陳述書未提出者や危険への接近などで国側にシフトした判決結果となり、国の姿勢を甘く見ていなかったか、横田基地の公共性などに対する積極的批判が不十分であったのでは、などの反省が出されました。

控訴審での論点として
(一)侵害行為
(二)被害、これには共通被害論を強力に展開するが、一方で出来る限り陳述書の補完提出をしていくことを確認。
(三)危険への接近
(四)受忍限度
(五)周辺対策
(六)将来請求
(七)対米訴訟、
等の論点を一層前進させ、地裁判決を越える成果を勝ち取ることを確認しあいました。
控訴審をたたかう新体制として、弁護団事務局長に三多摩法律事務所の土橋弁護士が就任されます。これに伴って弁護団事務局事務所は、八王子合同法律事務所から三多摩法律事務所(立川)に移されます。
また訴訟団の体制として代表幹事の一人、福井弥助さん(福生)の死去
により新たに遠山陽一さん(福生)が代表幹事に加わります。そのため訴訟団の新事務局長には、鈴木文夫さん(八王子)が後任として選出されました。
なお控訴審(東京高裁)では、あらたに新横田基地公害訴訟弁護団に裁判を委任する事になります。
現在、各世話人の努力により委任状提出は順調に進すめられていますが、多くの方が亡くなったり、地方に移転されたりしています。協力して手続きを完了させましょう。


基地滑走路改修工事を終えて
 瑞穂支部  小林 欣子(こばやし よしこ)
半年あまりの静かな日々、我が家は滑走路延長線上に位置しているため騒音に悩まされない日はないと言っても過言ではありません。それが工事が始まり飛行機が飛んでこない・・・信じられないような日々が・・・・本当に今までの生活環境が嘘のようで指針的肉体的にも安らいだ気持ちで過ごすことができました。ずーっと工事が続いてくれれば良いのに等と思ってしまいました。が改修工事が終わりまた、早朝から夜間までうるさい毎日が戻ってきました。暑いのに窓を開ければよけいにうるさく、長い間冷房の部屋にいれば身体に悪いし、暑いだけでもうんざりしているのに飛行機の騒音イライラもピークに達しています。型は小さいが特別うるさいジェット機が何機も次々と飛んできて耳をじーっとふさいでいたり、機体の野上に丸いアンテナのような者を付けた飛行機も何度もぐるぐるとまわってきて、もうどうしてこんなところを飛んでいるのか家のないところで飛べばいいのにと本当にうんざりです。友だちと目の前で話していても聞こえなくなるので中断、電話も聞きづらい野でついつい大きな声になり、テレビの音量も上がりストレスもたまる今日この頃です。飛行機による騒音がこんなにも私たちの生活に影響を与えていたのかとあらためて怖い思いをしました。


「横田基地軍民共用はない」瑞穂町に外務省が見解
瑞穂町長、瑞穂町議会は外務省を訪れ、横田基地の軍民共用空港化に対する国の姿勢を質した。
瑞穂町長が「町としては軍民共用に絶対反対の姿勢でいる。都知事選挙が近づいており、石原さんは選挙目当てに再び軍民共用を主張するだろうが、国として共用はしないという意思表示をしてもらいたい」と要請。
外務省北米局日米地位協定室長は「石原都知事の言う軍民共用は国として全く考えていない。心配することはありません。」と答え、これまでの経緯の中でも今後においても石原都知事の考えに国が同調する姿勢のないことを示した。
同室は「都知事から軍民共用への協力要請が何度も来たが、共用は行わないというのが国の姿勢であることを伝えている」としている。
瑞穂町長は石原都知事と懇談の際、「選挙目当てに軍民共用をぶちあげ地元を騒がすようなことはしてくれるな」と直接申し入れている。
(西の風新聞より)
八王子の原動力はここから
八王子支部   渡辺 てつよ
八王子支部での恒例行事は暑気払いと望年会。 お互いの苦労をねぎらい、褒め合い、いたわり合う心和む場である。
このときは事務局長氏も心得ており、会議は簡潔にまとめ(普段の会議もスピーディーですが)さっそく乾杯となる。
世話人たちが、順番に立ってそれぞれの裁判への思いや近況報告を語る。話が長くなってもこのときはみんなじっくり聞く。
会を重ねるごとに新しい顔が参加してきて自己紹介も兼ねる。カメラマンや、カラオケの司会は自然発生的に引き受ける者あり、気分よく歌わせてくれて会は盛り上がりを見せ、日頃の世話人会議では見られない素顔の光景が展開する。
これが7年間つながりあってきた原動力の源なのかと心ひそかに思う。 その仲間に入っている筆者は光栄だとも思う。
さあ、裁判は最終版。委任状集めで地域を廻り、結束をゆるぎないものにしていこう。


今後に生かせる友好的対応
去る7月3日(埼玉県)、7月17日(武蔵村山市)の両日、訴訟団・弁護団は地裁判決報告と今後の支援要請を行いました。 
埼玉県はたいへん熱心な対応で、参加者は満足して帰ってきました。
また、五市一町に連なる武蔵村山市は新しい市長を迎え対応もかわり、市長自らの出席を得ることができました。

<埼玉県>
吉田栄士弁護士をはじめ山口代表、地元飯能の菅間幹事他が参加しました。埼玉県は施策総務、基地対策主幹三田氏、主任東氏が対応しました。
埼玉県としては「70W値まで防音工事対象とするよう国に要請している。対象範囲が広くなるので繰り返し要請の必要がある。入間基地については訓練通告はあるが、日米地位協定の改訂を要請しているが、国は生活環境を壊している状況について納得のいく説明をしてきていない」「よりよい生活環境のため活動していきたい。勉強になるのでいつでも話を聞かせてほしい」とたいへん友好的でした。

<武蔵村山市>
新市長に対しあいさつと裁判の経過、判決内容の説明を行い、今後の協力を要請しました。
荒井市長は横田基地の問題点については精通しておられるようでした。 今回の要請に基づき、今後の市政運営の中で基地問題については配慮していってもらえそうという感触を持ち帰ることができました。


みんなで止めよう「弁護士報酬の敗訴者負担制度」
八王子  金子 康彦
集会は9月10日東京ドームの近く、文京シビックホールで開かれた。現在司法制度審議会では、裁判に負けた者が、相手側の弁護士費用も負担するという、制度の改悪が論議されていること。資金に何の心配も内国や大企業と違い我々市民や中小企業にとっては大問題。結局は裁判をあきらめることにもなる。公害訴訟などは特にたいへんになることが良く解った。全体を劇とコントを中心に会場からも東京大気汚染訴訟団をはじめ10訴訟の発言を組み込むなど、見事な構成に感心した。我々に横田訴訟では夜間・早朝の飛行差し止めの訴えに対して日本政府もアメリカ政府も相手にできないときわめて不当な判決が出ている。この司法制度改悪の動きは、国民の裁判を受ける権利の否定という点で共通の問題だ。改悪を許さない大きな運動が全国規模で取り組まれる。我々も力を尽くして、きっぱり止めさせたい。


お人好しの日本人の一人として−横田基地日米友好祭へ
小板橋 稔市良

2日目の8月25日に出かけ、この国の主権者として実に複雑な心境にさせられた。
まず、牛浜駅でビックリ。これから基地に行く者と帰ってきた人たちが危険な程ホームにあふれている。市街を潜り抜けるようにしてゲイトに達してみれば迷彩服姿の物々しい大男が金属探知器で身体検査、次の関門で手荷物検査、聞くところでは果物ナイフを持っていただけで入場拒否されたという。15万というこの日の参加者の心情は千差万別だろうが、数十機も並ぶ科学最先端のメカめざして近よろうとしたら、兵隊どもに押し戻された。(15時頃)韓国、沖縄、さらには厚木などからの戦闘機、攻撃機が帰り始めるついでに転じ飛行を開始する。F18などが変態を組んで離陸する轟音もすごいが、これが旋回してきて2度、3度滑走路上を超低空飛行するばかりか、宙返りでもするかのごとく急上昇するやつもある。最後に機体を左右に大きく型めけ飛び去るのだ。後日多摩川べりの我が団地でも「いや、すごかった。落ちるかと思った」と怖さを語る人がいた。ところで滑走路を70数億円の思いやり予算(日本国民の税金です)で直したので、そのお祝いの盛大な「友好祭」とも聞いた。すると日本国民に対する格別の御礼を込めての祭りかとも期待したが、そんな雰囲気は微塵もなく長い行列作らせて売りまくるハンバーグは決して安くない。いくらかすいたと思っていたら、夕闇が迫るとまた、人出が増える。雑踏を抜け出して滑走路脇の芝生にやってきた女性が叫ぶ。「わあー!気持ちいい。こんな広いととこはじめて!」涼風も頬をなで、広大な基地東部に花火が揚がるのを末群衆の浴衣姿も目立ちはじめていた。疲れて帰ろうかと迷いつつも、日本の花火を無心に鑑賞。帰宅は22時を過ぎていた次第。


小牧西中学校「ともに頑張りましょう」
「横田基地の騒音被害を聞きたい」と取材に訪れた、愛知県小牧市立西中学校3年生より礼状が届きました。近くに自衛隊小牧基地があり、航空機騒音には関心が高い中学生たちは「ともに頑張りましょう」とエールを送ってくれています。訴訟団も負けてはいられません。
取材の成果をビデオにまとめるようですが、できあがったらぜひ見たいものです。

◇先日はたいへんお忙しい中、ビデオやお話を聞かせていただいて本当にありがとうございました。
訴訟団のところへ行き、署名や被害地域を見て、僕はこんなにも被害を受けているのかと驚きました。話の中で、滑走路のために自然を破壊するなんてひどいことをするんだなあと思いました。
名古屋でも飛行機がびゅんびゅん飛んでいます。毎日飛行機の騒音を聞いているためか、たかが騒音とみんな思っているんじゃないかと思います。でも、騒音は重大な問題だと文化祭で学校中に伝えてみたいと思います。僕たちは取材のことをまとめ、頑張っています。訴訟団の皆さんも頑張って下さい。ともに騒音とたたかっていきましょう。 (大島君)

◇・・・・・・私たちの学校でも、飛行機が良く上をとおりますが、皆さんに詳しくお話を聞かせていただくまで飛行機によってなくなった街があったということなんて知りませんでした。とても勉強になりました。
取材をさせていただいた内容をひとつの番組にしていきます。見る人に騒音によって生じる被害や、皆さんからの話を伝えられるようなものにしたいと思っています。 (伊藤さん)

◇・・・・・・・僕は騒音被害はあってはならないことと思います。
・・・・・公害訴訟の裁判に勝てるよう陰ながら応援させていただきます。 (増田君)

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